今後のゴルフ課題

紳士のスポーツ、海を渡る

歴史を見てもらえれば分かるとおり、ゴルフという競技はヨーロッパを中心に親しまれており、発祥こそ定かでは無いがそれでもこの一体の地域のどこかで誕生したことだけは間違いない。ゴルフといわれると個人的にアメリカを想像していたが、実際の本場はヨーロッパのどこかというところだ。そのどこかが分からないため何とも言えない部分はあるが、流儀を知る意味ではEU方面で修行を重ねるというのは、中々ありだろう。

その後ゴルフが世界的に広がるきっかけになったのは産業革命の近代以前の時代にて、アメリカ・日本といった地域へと流れていく。それはユーラシア大陸を経由して中国などにも流れて、本格的に世界スポーツの1つとしてその地盤を形成していった。産業革命時代の日本、明治時代に入るかどうかというわけだが、その頃はゴルフは官僚といった政府関係者が嗜む高貴なスポーツ、といった風潮が強かっただろう。今でもどこか、スポーツという枠組みの中で考えればゴルフは中々特殊な雰囲気が感じられるものだ。野球やサッカーの泥臭さや、バスケやハンドボールといった熱血を絵にかいたような展開が巻き起こるような青春群像劇があるわけではない、優雅というちょっと異質さがあるといっても差し支えないと思う。

時代に流されながらもゴルフは着実に世界各国で愛されるようになって行くと、2008年時点で世界に点在するゴルフコースの数は全世界規模で『32,300コース』も存在している。その中で最も多いのが、アメリカの『15,590コース』となっている。広大な大地を生かしたコース作りという意味では、さすがにヨーロッパ地域ではある程度限定された場所でしか作る事が出来なかったというところか。ちなみに日本には『2,358コース』建設されているが、さすがにアメリカと比べたらその差は歴然としているが日本という国の広さを考えると多いほうなのでは無いだろうか。

打ちっぱなしたい

最近ではコインランドリーは単身者や学生のみならず、共働きで時間のない主婦やサラリーマンなど幅広い年齢層で利用されており、不況に負けることなく順調に拡大する市場として近年注目を集めているビジネスなのです。

コースの広さがやはり課題となる

中世、また一番古く起源として考えられている説を含めれば紀元前まで遡ることが出来るのだが、それだけ古くから存在しているゴルフが研究対象として扱われることはなかった、ということはなく、現在までに様々な視点からゴルフを学術的に分析して、論理的に技術を体系化しているまでに至っている。かつては国民性のあるスポーツとして親しまれ、一部の国では資産家などの有力者が嗜む道楽として遊ばれていた競技だったが、日本でも今や誰でも気軽に始めようと思えば始められる。歴史的な時間だけで考えれば少なく見積もっても500年以上もの時間の中で研究され続けていたわけだが、愛好者が増えるにつれてルール作りも欠かせなくなっていった。

ゴルフの歴史を紐解いていくとそれまで体系的に明確なルールを作成していなかったことは大きく、まずはその段階から取り組みが始まるとゴルフを行う上でのルールを始めとした基本情報を構成し、また道具として使用するクラブやボールなども公式を生かして改良されていくなど、全体的な底上げが今日まで継続して行われている。

その甲斐あって、21世紀までに辿り着くとスイング理論を初めとしたフォームなども理論的に研究され、理想的なフォームでのプレイスタイルを実現することも出来るようになっていった。その結果、男子のプロゴルファーによるドライバーの飛距離は1993年から2003年の10年間だけで30ヤードも平均的に底上げすることに成功し、多くのプレイヤーがスカッとするゴルフプレイを楽しめるようになる。飛距離が伸ばせるのは確かに快感だ、遠くいけばいくほどそれだけ飛ばした甲斐があったと感慨に浸ることも出来るが、同時にプレイヤーが楽しめるコース作りという意味でコースそのものを巨大化させる事は急務として考えられた。

ただ大きくすればいいのだろうとコースを用意するのも楽では無い、ゴルフをするだけのコースともなればどんなに少なく見積もっても『6,000ヤード』、およそ5kmは必要となる。ゴルフを楽しむためのコース作りに関しても相当な費用を要するが、同時に完成後の管理としての維持費でも相当なものだ。今でこそゴルフは手軽に楽しめるものになっているかもしれないが、色々と問題は大きい。

池ぽちゃの悲劇

ゴルフは競技を楽しむモノでは無い

ゴルフをプレイする事によって紳士に近づくことが出来るといった見方をすることも出来る、その理由としてはプレイ中に縛られるあらゆるルールや制約が多数存在しているからだ。国際的なスポーツとしてその地位を確固たる物としていったことも関係しているが、何よりヨーロッパで誕生したというところで、英国紳士のような気品さを学ぶという意味合いも何処となく感じられるだろう。しかして本当にそうした流儀を学ぶことが出来るかと言われたら、キチンと指導者がプレー中に同伴してゴルフという競技をする上で何が大切か、またはゴルフを通して何を知ることが出来るのか、そういった細かいところまで学べるところに、ゴルフの喜びはあるという。

理屈っぽいかもしれないが、そう考えられているのだから多分そうなんだろう。筆者も一度したときには、親からフォームなどを口うるさく注意されては、あれは違う、これは違うといった小言を貰ったが、あまりにも圧迫された状況に苛まれたため、今後を通して積極的にプレイしたいとは思わなくなってしまった。

確かに礼節やマナーを学べるという意味ではゴルフは非常に活用することが出来る競技なのかもしれないが、競技を嗜んでいる時点でやはり自分の力である程度楽しめなければ、スポーツとして喜びは感じられない。ゴルフにおけるマナーや社会の規律を知ることも出来ると言われているが、まず始めに本人のやる気を削がないようにするように働きかけることも忘れてはならない。ゴルフ人口を今後も増やしていきたいと考えているなら、その点も配慮する必要はあるだろう。

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